葬式では あまり役に立たなかった兄貴と弟だが納骨はちゃんとしてくれたようだ、私はあの墓の何処を開けるのか 誰が入っているのか、どこに納骨してあるのかが興味があった、(できたら壺を開けて見たかった、)まるでエジプトではないが想像ばかりしていた、残念ながら仕事で行けなかった。人には担当があるようで 出しゃばる分野、と地味分野があるようだ でしゃばり分野が自分なのだと自覚してきた(今頃)。親父もあれから2ヶ月・・、仏壇でチ〜ンとしても何のこっちゃ!とかしかなかった私も今は 親父〜元気かぁ?とか、わけわからんこと言って拝んでいる。不思議なもんだなぁ。もしかして偉大な人(どうでもいいような人もいるが)のドデカい墓もその人を思い出させるために作っているのかなぁ。人は思い出で生きていけるのかもしれないなぁ
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