感性

ひとりごと

能とフラメンコのイベント 能の素謡と仕舞い、フラメンコの舞

能の素謡(すうたい)とは囃子もなく舞もなく正座して謡うこと)仕舞(能面をつけず舞う)鹿児島ではなかなか触れることがないイベントだ。私の目の前で情熱的に舞う二人、若い二人の情熱が伝わってくる。だが、私の後ろで見ている女は違う見方をしていた。もったいない、音響がいまいちだ。とか、もっと突っ込むコメントを用意していないのか・・とか、ドリンクももっと出し方があるはずだとか 全体の舞台構成を話し出す。舞の感想ではないのだ、私には意味がわからない・・どうでもいいではないか 舞台構成は素人だがその情熱は伝わっているではないか・・と。彼女はそれではよくないのだと。もったいない!というのだ。彼女はそういう仕事にたづさわっている。仕事から離れられないのだ。私からみると気の毒な。と思うのだが それも彼女の感性なのかもしれない。裏方の仕事(音響とか舞台装置)が完成してモノが輝くのだ。と。ん〜〜〜〜、そうなんだが 金がない時代はここからでは・・と、言い返したかったが 長くなりそうなのでやめた。改めて物を見るということに一つの答えがあるわけがない・・彼女はそれがあっての本物なのだから。いつもの感動の余韻も吹っ飛んでてしまった。私の感性は舞台装置なんか 関係ない 歌ならアカペラでも感動できるものがあるように舞も場所関係なく路上で踊っても感動するものはする。 と 言いたかったが 長くなりそうでやめた。彼女は少し仕事を離れた方がいい・・と思うのだが それも余計なお世話かもしれない が 友達だから言う もう時間はないよ。

 

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